【嫌われる勇気】本当の自由とは何か?アドラーの言葉と生きる【書評】

書評
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誰でも人に嫌われるのは嫌だろ?

嫌われたって何も良い事ないよ!

嫌われる事と、嫌われる勇気を持つ事は違うわよ。

その勇気が持てないと、いつまでも精神的な自由を手に入れられないわ。

心理学界の三大巨匠は、フロイト、ユング、アドラーと言われています。

皆さんも日常会話で「トラウマ」や「コンプレックス」という言葉を使うことが有るのではないでしょうか。
まさしくこれらの心理学用語を提唱したのが、フロイト(トラウマ)であり、ユング(コンプレックス)です!

では、アドラーはどんな心理学用語を残しているのか。。。
残念ながら、特になかったります。。。

そんな、他の2人に比べてちょっと影の薄い、心理学界の三大巨匠アドラーを取り扱った本書、興味が湧いてきませんか?
本書では、アドラーの心理学が、哲学者と青年の対話篇形式によって記載されています。

ちょっと捻くれ者の青年は、哲学者の下へ相談に行きます。
哲学者はアドラー心理学から人生観を教えようとしてくれます。
しかし、青年はそんな哲学者の言葉を論破してやろうと、躍起になってすべての説明に反論をしていきます。
そんな2人の会話の中で、青年はアドラーの真意に気付き、自分は過去や常識にとらわれていた事、それらを超えた所に本当の自由がある事に気付きます。

さあ、皆さんも本当の自由を一緒に探してみませんか?

過去に囚われるな、今を変えていけ!

人は現在の”目的”のために、過去の”原因”を自ら捏造している。

-書籍「嫌われる勇気」より抜粋-

これがアドラーの目的論と言われ、アドラーを学ぶ上で根幹と言っても良い考え方です。
面白いのは、フロイトの提唱する原因論を真っ向から否定しているということです。

  • フロイト:原因論:原因(トラウマ)から結果に繋がる
  • アドラー:目的論:目的のため原因を自ら捏造している

つまり、過去のあり方によって現在が決まっているのではなく、現在のあり方が過去を歪ませていると語っているわけです。

これは、原因論では自分の不幸(出来ない)原因を他に置くが、目的論では自分の不幸(出来ない)原因は今の自分にあるという、とても厳しい言葉でもあります。

しかし、原因が他にあっては自分に変える事が出来ないが、原因が自分にあるのであればいつでも自分で変える事が出来ると言う、前向きな言葉でもあります。

前向きな言葉として受け止められるかで、アドラー心理学を受け入れられるかが変わってくるかも知れませんね。

他者に求める事なく、自分の中に強さを持つ!

自由とは他者から嫌われること、つまり自由には「嫌われる勇気」が必要である。

-書籍「嫌われる勇気」より抜粋-

この言葉だけを聞くと、まるで孤独で有ることを推奨している様に感じてしまいます。
しかし、これは孤独で有ることではなく、強く有ることを大切にしろと訴えています。

強さとは、他者の評価を気にせず、恐れず、認められないことを許容することであり、まさに、自分の生き方を貫くことです。

アドラーは、その為に次の2つが大切だと言っています。

  • 承認欲求を否定すること
  • 共同体感覚を持つこと

承認欲求を否定することとは

承認欲求とは、他者から認められたいという気持ちの事ですね。

アドラーは
「あなたは他者の期待を満たすために生きているのではない」
「他者もあなたの期待を満たすために生きているわけではない」
であり、自分の負うべき課題(問題)は他者に負わせてはいけないと言っています。

つまり、他者がわたしを好きになるかどうかは他者の課題(問題)であり、それをわたしが気にする必要はないという事です。

共同体感覚を持つこととは

共同体感覚とは、自分の居場所があるという気持ちの事です。
そして、共同体の定義は無限大に広がっている事を知る必要が有ると説かれています。

共同体と言われて想像するのは「家庭」や「職場」が一般的ですよね。
しかし、そこで止める事なく更に上の視座に立ち、自分の所属している共同体は「会社」「国」「地球」「宇宙」とどこまでも広がっているのです。

それくらい大きな共同体にいる自分にとって、「家庭」や「職場」の悩みなんて、とても小さな関係(問題)であり、そんな物に捕らわれる必要はないと説かれています。

当たり前と思わず、普通の定義を疑え!

普通であることの勇気を持て。

-書籍「嫌われる勇気」より抜粋-

人は誰しも、他者の注目を集め、普通の状態から脱し、特別な存在になることを望むものです。

しかも、特別とは必ずしも良い意味で特別とは限らないという厄介な側面を持っています。
つまり、悪くあろうとする事もまた特別なのです。
非行に走ったり、引きこもったりするなど、大多数の人とは違う行動を取る事で、特別になろうとしてしまう人がいるのです。

こうした安直に優位性を追求してしまう事を、諌める意味でアドラーは「普通であることの勇気」を説いています。

特別であろうとする事は、一般的に「普通=無能」のイメージがついてしまっている事が原因といえるでしょう。
普通とは、所属するコミュニティに順応していると言うことであり、そのコミュニティから外に出れば、誰でも(好きな事や得意な事をきちんと発揮すれば)特別なのです。
今いる小さな環境の中だけで、わざわざ優越性を誇示する必要なんてありません。

今この瞬間を充実させる事が生きる意味!

一般的な人生の意味はない、人生の意味はあなたが自分自身に与えるものだ。

-書籍「嫌われる勇気」より抜粋-

人生は連続する刹那である(点として存在しており、連続する線ではない)と、アドラーは言っています。

我々は今ここにしか生きておらず、この瞬間の充実を大切にする必要がある。
過去にどんな事があったかは、貴方が今ここにいる事には、なんの関係もなく、未来に何があるかも今ここで考えなくても良いのです。

人生を旅に置き換えた時、旅の目的は目的地にたどり着くことではなく、その過程を含めてすべてが大切であり、たどり着かない事を悪としては、旅なんて出来ません。
つまり、人生も同じで、人は等しく死という目的地に向かって歩んでいますが、その過程である今を大切にしていれば、今ここで生を終えてもそれは不幸ではないのです。

まとめ

私はこれまで、知らないうちに原因を他に求める人生を送っていたんだな、と気付かされました。
自分が変わる事でしか、人生は変わらない、そして変える事が出来るのは過去ではなく、未来だけなんですよね。

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