自分探しの正体は「希望探し」だった?森博嗣『自分探しと楽しさについて』を読んでカウンセラーと話してみた

一本道を歩く人の足元 書評
スポンサーリンク
                   

<景品表示法に基づく表記>本サイトのコンテンツには、商品プロモーションが含まれている場合があります。

「自分探し」って言葉、ちょっと気恥ずかしい響きがありませんか。

若いころに一度は耳にした言葉ですよね。昔はそういう旅に出る人、けっこういた印象があります。でも40代前後になると、そんなことを考える余裕もなく、仕事と家のことで毎日が過ぎていくんですよね。

そんな中で、森博嗣さんの『自分探しと楽しさについて』を読みました。タイトルからして、ちょっとドキッとする本です。

しかも読んだあと、通っているカウンセリングでこの本の話をしたら、思っていた以上に話が広がってしまって。今回は本の感想と、その雑談の中で私なりにたどり着いた「自分探しの正体」について書いてみます。

自分探しの正体は「見せびらかせる何か」探し?

読み始めてすぐ、ハッとさせられた指摘がありました。

自分探しというのは、本当の自分を見つけようとしているわけじゃない。他人に「すごいね」と言ってもらえるステータスを手に入れようとしているだけなんじゃないか、という話です。

本の中では、海外留学やインド旅行のような例が挙げられていました。たしかに、どちらも人に話したときに分かりやすく「おお」となるやつですよね。

森さんのスタンスはとても一貫していて、自分なんてものは突き詰めても分からない。だから他人の評価や分かりやすい肩書きに頼る必要もない、という考え方です。

正直、ちょっと耳が痛い。

旅行や留学そのものが悪いという話ではないと私は受け取りました。ただ、「それを誰に向けてやっているのか」を一度考えてみると、意外と他人の目が混じっていたりする。そこを突かれた感じがしました。

用意された楽しさと、自分で見つける楽しさ

もうひとつ印象に残ったのが、楽しさには「受け身の楽しさ」と「自分から見つけにいく楽しさ」がある、という話です。

本では、最近の若い人たちは誰かがお膳立てした楽しさに慣れてしまっている、と書かれていました。決められたコースを回るとか、完成形が決まっている工作キットを組み立てるとか、そういうものです。

本当の楽しさは、他人から与えられるものじゃない。自分の内側から湧いてくるもので、一人でひっそり味わうようなもの。

SNSに上げて誰かと共有することが目的になってしまったら、それはもう別物なんだろうな、と。読んでいてそう気づかされました。

これ、若者だけの話じゃないと思うんですよね。大人になるほど、楽しみ方まで「みんながやっているもの」に寄っていきがちです。私自身、自分の楽しさをちゃんと自分で選べているかと聞かれたら、少し考え込んでしまいます。

本とコーヒーでひと休み
写真はPexels提供

他人の目より「自分が楽しむため」という軸

社会のどこに自分がいるのか。他人からどう見られているのか。

こういうことを気にしすぎて生きるんじゃなくて、自分が楽しむために生きるという軸を持つ。本の中では、この考え方が語られていました。

ただ、森さんは「他人なんてどうでもいい」と突き放しているわけではないんです。他人に爪痕を残したいという気持ちは、誰でも持っているものだとも書かれていました。

その気持ちを否定するんじゃなくて、どう昇華していくか。ここは読み終わった今もまだ答えが出ていなくて、ずっと頭の片隅に残っているテーマです。

お金がないと楽しめない、は本当か

老後のお金に備えたいと思っている身としては、この話がいちばん刺さりました。

「お金がないと楽しめない」というのは錯覚だ、と森さんは言います。お金は、楽しみにたどり着くまでの時間を短縮するための道具にすぎない。つまり、お金と時間を交換しているだけ、というわけです。

裏を返せば、お金をかけなくても、自分の時間や手間をどう使うかで楽しみはいくらでも見つけられる、ということになります。

このブログを読んでくれている方の多くは、たぶん私と同じで、将来のお金に漠然とした不安を抱えていると思います。私もそうです。お金はあるに越したことはない。そこは変わりません。

でも「お金がたくさんないと老後は楽しめない」と思い込んでいると、不安はどこまでいっても消えないんですよね。いくら貯めても「まだ足りないかも」となってしまう。

お金はあくまで近道のための手段で、楽しさそのものは自分の時間と手間からも生み出せる。そう考えると、将来の暮らし方を考えるときの景色が少し変わって見えました。備えることと、今から自分なりの楽しみ方を持っておくことは、どちらも大事なんだと思います。

カウンセリングで「自分探し」の話をしてみた

この本を読んだあと、カウンセリングに行ってきました。

カウンセリングといっても、私の場合はほとんどとりとめのない雑談です。今回は、この本を話題にして「自分探しって結局なんなんだろう」という話をしました。

そうしたら、カウンセラーの方がご自身の話をしてくれたんです。

学生時代に人間関係で悩んでいて、「自分を変えたい」という思いがすごく強かったそうです。それで大学を休学して、日本一周の徒歩旅行などをしたことがあるんだとか。

徒歩で日本一周。すごい。

「それってまさに自分探しですね」という話になって、二人でちょっと盛り上がりました。

今の時代の自分探しは、少しズレている気もする

ただ、話しながら思ったこともあります。

たとえば30年くらい前なら、まだ知らない土地に行って、新しい体験をして、そこでしか手に入らない情報を仕入れること自体に大きな価値があったんだと思います。

でも今は、お金とネットがあれば、SNSで世界中の生の情報がすぐに手に入ってしまう。そういう時代に「遠くへ行けば何かが見つかる」というやり方は、少しズレているようにも感じるんです。

もちろん、実際に足を運んで体で感じることにしかない価値もあるはずです。ただ、自分探しの手段としてはどうなんだろう、と。

自分探しの正体は「希望探し」なのかもしれない

正直に言うと、私には自分探しをする人の気持ちが、少し遠いものに感じられます。

私は人生に大きな目標というか、わりとブレない軸を持っているほうだと思っています。それに、宇宙規模で見たら自分の人生なんて小さな誤差みたいなもの、と捉えているところもあって。だから人生に大きな希望を求める気持ちは、あまりないんですよね。

それでもカウンセラーの方と話を突き詰めていくうちに、「自分探しって、結局は人生の希望を探しているってことなんじゃないか」という話になりました。

これは、すとんと腑に落ちました。

人生で何かすばらしいものに出会いたい。目標にできる何かを見つけたい。その「希望がほしい」という気持ちに、「自分」という名前をつけて呼んでいるのが自分探しなのかもしれません。

そう考えると、本で読んだ「ステータス探し」という指摘とも、なんとなくつながる気がします。分かりやすい肩書きや体験を手に入れたら、何か希望が見えるんじゃないか。そういう期待が、旅や留学に向かわせるのかもしれないな、と。

森さんの本は、他人に頼った楽しみ方や生き方から離れて、自分の内側を見つめ直すきっかけをくれる一冊でした。特別な才能や大金がなくても、自分の足で人生を楽しむことはできる。

そしてもし、いま「自分探し」をしたくなっている人がいたら。探しているのは自分じゃなくて希望なのかもしれない、と一度考えてみると、少し肩の力が抜けるんじゃないかなと思います。


コメント